むむ、水を差す。 航星日誌 地球暦 20161020160811

2016.08.11.Thu.11:00
もちろんのこと、

殆どの毎日11時記録の正式記録は前夜、つまり昨夜記録して寝るのだが、その前に自分で撮った写真の編集や、資料として収集した原文、画像等(もちろんいずれも出典は記録)をも含む。


さて、ここで昨夜大きな疑問に直面し、その理由の解決窓口も得られず(今日8月11日は史上初の”山の日”として国民の休日だ)、とても苦慮している。

ふそうには正式見解を求めたい。

と言うのは、

三菱ふそうバス製造株式会社より引用(ふそうバスの歴史)

ふしぎ


常識的に眺めてみても(バスが好きでなくとも、一般的な製造業として)、

この年表はおかしいだろう。



代表的な『大型観光バス・高速バス』が、

1971年の”B907S”から、1983年(1982年だと思うのだが)の”エアロバス:MS725S”までの12年もの間が空白になっている。(辛うじて81年、MS:超豪華大型観光バス。って全然違う:大型観光バスはセミオーダーでなんとでもなる)


もちろん三菱自動車工業(当時)はこの間、競合他社様(日野自動車、いすゞ自動車、日産ディーゼル工業他外車も含め)と、熾烈なシェア争いを展開し(B907S:B9、B8シリーズのころには実は国内の50%以上をシェアとし)、その後当時の排ガス規制(細かいことは言うまい:よく知らん)をクリアした新エンジン「8DCシリーズ」に換装した「MSシリーズ:MS5・その後MS6」となり、日野自動車様が先行したいわゆる『スケルトン構造バス』に対し、シェア確保をするため(日野の勢いは凄まじかった)に『MS615S(A):フルデッカーⅡ』を発表、発売し、上記『エアロバス:MS7シリーズ』まで繋いだのだがその記録。記述がない。

なぜここまで事細かに苦言を呈するかというと、


私は「B9・8シリーズ』でふそうに出会い、惚れ、


ようやく大学生にとなった後の学生生活4年間のほとんどを観光バスに関連する事業のアルバイトに費やし(よく卒業できたな)、最終的には現在の会社の前身会社の『早過ぎた内定』を貰わなければそのまま、

当時世話になっていた観光バス会社に入社していただろうに。

しかもその4年間で乗務した殆どの期間は、

MS5・6、そして最終期にはMS7に乗務するといった時間を過ごしたので特に、

MS5:MS513R

やら、

MS6:MS615S、

と言った型式が世間に公開されないことはとても残念。


あぁ、
やれやれ。


そんな、私の『観光バスとともに過ごした青春時代の想い』。



昨日に続き、ネットより借用。

本当に感謝します(当時の観光バスの写真はそれこそ、5000枚では足りないだろうがフィルム。 ポジとネガ。 それのデジタル化は全く手付かず。なので)

で、一応『私共”帝産観光バス”』で検索した結果。

まずその、
MS513R、

フルデッカーボディ。

MS513R.jpg

窓枠がちょっと違うけどね。

当時の、”神戸22 あ 1620~1622”


他に、
スタンダードボディで古くは、
1445と1561。


で、

私の(今でも)心の支え、

MS615S

MS615SFD1.jpg

フルデッカーⅠ型
神戸22 あ 1994と1995。
非常に細かいが、MS5のフルデッカーボディとは違うのだよ。( ̄▽ ̄)v 素敵、美しい。


他に
フルデッカーⅡボディ、の最終型ね。
ヘッドライトが角形4灯。

MS615S FD2改

既に後継の、MS7シリーズの開発がほぼ完了していたので本当に短命。
ドライバーからは「パワーステアリングの戻りが遅い」と酷評。

神戸 22 あ 2614~2616。


途中、


神戸市内で”神戸市営と並んで2台しかなかった2階建て”

ネオプランのダブルデッカー。

2656.jpg

神戸 22 あ 2676。


そして、

エアロバス登場。

笑うよ、知ってる人は。
帝産神戸としては、第5次配備のエアロバス。
その本物。

3295.jpg

いわゆる”3295:ニーサン、ゴクロー!”

と、

まさかの”3329:散々憎まれる”

3329.jpg

めっちゃ身内ネタ!

怖いね、ネット社会は。


拝借させて頂いた各位には本当に感謝。


そして、


レンズよりもスキャナだな。


改めて思い知った昨夜の艦長。




ENTERPRISE Out

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